「……お忘れ物のないようにお気をつけください。」
電車から一人の男が降りる。ごつい革ジャケットを着ているが胸元は開いておりこの寒空では防寒力に不安が残る。そんな事を意に介さず男は改札へと進んでいく。サングラスの奥では鋭い眼光が先程まで自身が乗っていた電車を見送る。
「ふむ、寒い地方では自分でボタンを押してドアを開けねばならんのだな。おかげで一度通り過ぎてしまった。」
この時点で既に30分は遅刻しているのだが男に焦る様子はない。我が道を行く、男にはその才能があった。いや、それしかなかった。改札を抜けた男が何かに気付く。そして自販機の前に立つ青年に話しかける。
「失礼、こちらの支部の方だな?B.I.N.D.S.から派遣された只野だ。こちらで正義が足りぬと聞いてやってきた。よろしく頼む。」
トータル38分にも及ぶ遅刻を一切詫びることなく只野が微妙にずれた挨拶をする。
「お待ちしておりました。僕はこのT市支部で渉外、購買などを担当している中立です。只野さんがこちらにおられる間はまぁ基本的に同行させて頂く事になるかなぁと思いますので、えっと、よろしくお願いします。」
中立と名乗った青年は遅刻を詰るでもなく用件を伝える。しかしなんとも頼りない物言いである。腰も引けた感じで目線も低い。只野が(これでは正義の執行には力不足だな)と思ったのも無理はない。
「ところで君1人かね?話では支部長とも顔を合わせる事になっていたように思うが。」
只野は目の前の青年に力を期待するのは諦めて本筋の話を進める。
「ああーえーっと……ほ、ほら予定の時間より遅かったので支部長は帰っちゃったんですよ。時間に厳しい方なので!」
目線を左右に漂わせた後、時計を見つけて閃いたとばかりに理由を告げる。中立が何かを誤魔化そうとしているのは明らかだったが只野は小さく頷いて話を続ける。遅刻したのは事実なので責められないというのもあった。
「では早速支部へ案内してくれ。そこで改めて話をしよう。」
再び中立の目が泳ぎだす。コートのポケットの中で車のキーをカチャカチャ言わせている。
「いやぁ、この時間はちょっと支部にいるか分かんないので……ま、まずはホテルに案内しますよ。」
方針が決まったためかポケットからキーを取り出して駐車場へと歩いていく。おかしな男だ、と思いながら只野が後ろを歩くと中立はさっと車まで走ってドアを開ける。
「ささ、どうぞどうぞ。」
開けられたドアから車に乗り込んだ只野は(なんだかやりづらいところに来てしまったぞ)と思いながらシートに体を預ける事となった。
「そもそも何故このT市に来ていただいたかというとですね……」
車を走らせながら中立が喋りだす。その運転は教習所のようで制限速度はきっちり守り、歩行者には道を譲る。そのため只野は安心して運転を任せることができた。
「分かっている。正義が必要なのだろう。」
皆まで言わずとも分かるとでも言いたげに片手を上げるが、それに気付いてか気付かずか中立は話を続ける。
「ここT市は武闘派のFHの影響力が強くUGNの行動がかなり制限されていました。さらに最近FHの内部抗争があり組織が2つに分裂したようで、たびたび戦闘行為が起きています。もはや存続すら危うくなった我らは高い戦闘力を持つというB.I.N.D.S.に救援を求めたわけです。……って何してるんですか!?」
もちろん救援を要請するための報告書にも書いた内容ではあるため聞き流してもらう程度でもよかったのだが、気付けば只野はドアを開けて車外に出ようとしていた。ちなみに現在の車の時速は40kmである。
「見逃せぬ悪があったのでな。しばし待たれよ。」