某日 UGN N市支部の誇るバイサズオーヴァード対策部門、そのオペレーターを務める3人が一堂に会し深刻な表情を浮かべている。
いや、正確には1人だけノートパソコンのディスプレイに浮かんだアバターなのだがそれは些事である。
事の発端は30分ほど前のことだ、他2人を招集したPC上のサイバーゴースト『割り込む騒電(ノイジーノイズ)』がスピーカーから喋りかけ始める。
「さて、お前達に良い報せと悪い報せとがある。」
「えっと、それじゃあ悪い報せからで良いですかねぇ?」
「フハハハ!葵、私がいつ『どちらから聞きたいかな?』などと質問した?残念だがどちらを先に報せるかは既に決まっている、物事には順番というものがあるのだ!」
「千鳥、うるさい。」
「ぐぬ、織音は相変わらずノリの悪い。」
「良いから要件、はやく。」
葵と呼ばれた女性が頬を膨らませ織音と呼ばれたそれよりひとまわり背の低いヘッドフォンの女性が千鳥にピシャリと文句を言う。
おおよその力関係が見て取れるやりとりの後に千鳥が情報を開示する。
「では順に開示しよう。正義バカの今月の始末書量が5割ほど減った。」
「良い事じゃないですか!」
「そう、良いニュースだ。だが良いニュースはここまで。」
「彼がそんな急に態度を改善させるほどの何かがあったというわけですね。そしてその何かが。」
「悪いニュースの『第一弾』だ。」
「良いニュースと悪いニュースのバランスが取れてない!」
「取れるわけないだろ!あのバカだぞ!」
「良いからさっさと用件を済ませてください。」
「……あのバカ、勝手にネット配信者の密着取材を受けてやがった。」
「は?」
「はぁ!?」
「まぁ密着取材を受けていたから『周りの取材機材』を壊さないように気を使って戦っていたと言うのが事の真相だな。」
「不味いんじゃないですか?それってUGNが必死に隠してきた非日常がガンガンネットに流されるって事でしょ!?」
「おー、今頃隠蔽部門は大わらわだな。まぁその辺は『まだ』問題ない、正義本人が『お行儀良く』していたおかげでな。」
「……まだ?嫌な予感がするんだけど。」
「今回の下手人は既に割れていてだな『シルフィ』と言うアカウントなんだが……いわゆる映えとバズを最重視する派手好きの迷惑Vtuberという奴だ。過去にも機密をばら撒いてUGNのネット監視部にマークされていた。」
「あー、正義マン派手といえば派手ですもんね。」
「で、派手好きの『シルフィ』が始末書5割減の良い子な正義マンに満足すると思うか?」
「無いわね、どんどんエスカレートさせるわ。」
「で、ここからが悪いニュースの『第2弾』だ。」
千鳥が話すのをためらうようにアバターの顔をしかめ一拍間を置く。
「『シルフィ』は正義をどこぞのセルのアジトに単独で突っ込ませる気だ、無論生中継付きだぞ。」
「論拠は?そもそも何処のアジトなのよ。」
「知らん、織音もノイマンならわかると思うが時々過程を無視して結果だけ分かってしまうことがある……その類だ。」
「えっと、そうするとどうなるんですかねこれ。」
「まぁ流石にこの状況なら正義も遠慮なくエフェクトを使うだろう、変身だってするぞ。そうして戦ったあとにアイツはどうする?」
「……最悪。」
「私はヤツがバカだったとしても人食いの怪物として全国デビューさせてやるつもりは全く無い。」
「どうすればいい?」
「撮影予定のアジトを特定、先回りで光長を突撃させる。」
「ねえさんはよく責任って口にするけどそういうのって息苦しくないの?」
「そうですねー、でも責任を取らないと後からもっと息苦しくなるものなのですよ。」
「ふーん、ねえさんって生まれて一年も経ってないのに知った風なこと言うよね。」
「そう作られてしまったので。」
「でもさ、ねえさんの責任ってなんなの?ねえさんはそう作られただけでしょう?」
「……それでも実験の許可にハンコを押したのは私なのです。誰かをさらうように指示したのも私なのです。その責任は私のものなのでやっぱり私が取るべきなのですよ。」
「ふーん。」
「…………おかしな話だ。」
運命の日、UGN『変異レネゲイド対策部』N市支部
「やぁ、光長。忙しい中よくきてくれた」
「そっちこそ忙しかっただろうアドルフ。こんな事態でもなければ俺がドイツまで飛んでもよかったのだが」
「事は人命に関わる、猶予がないのは仕方ない。それでそっちで調べていた件はどうなった?」
「黄泉川の刀剣にも不可解な変異を遂げたものが確認されたようだ。管理体制の変化で向こうもてんてこまいだったよ」
そう言って光長が何かのリストをアドルフに渡す
「やはり衝動が“上書き”されているな。全て飢餓衝動か」
「それも食人に対する強い衝動だ、ジャーム化していないにもかかわらず耐え難いほどの」
「光長、君はどう見る?」
「…何かきっかけがあったと見るべきだろう。トライブリードが誕生したときのように、我々の預かり知らぬ劇的な何かが」
「…すでに手遅れか?」
「だろうな、これからもこういったオーヴァードが増えるだろう」
重たい沈黙が二人の間に訪れる
「お茶をお持ちしました!」
「ああ、サラ君か。ずいぶん大きくなった」
「ええ、おかげさまで一人前のエージェントです!」
「一応私の護衛という事にはなってるが、そんなことより家でおとなしくして欲しかったものだ」
僅かに緊張が緩む、それを見計ったかのように強い揺れが周囲を襲った
落ちる電気系統、非常灯が赤く辺りを照らし警告が鳴り響く
「何事だ!?」
『何か高いレネゲイド反応を帯びた物が落下してきたようです!詳細は不明!』
瞬間、空気が音を立ててねじ曲がった
脳髄を衝動が焼き焦がしていく独特の感触
「っ!ワーディングだと!?」
「ぐっ……」
「お父さん!」
頭を抑えてアドルフが蹲り慌ててサラが駆け寄る
そっと肩に添えられた細い手首をアドルフが掴んだ
「いかん、よせ!アドルフ!」
猛烈な嫌な予感に突き動かされ叫びながら走り出す
それからワンテンポ遅れて、ブチブチと何かが食いちぎられる様な水っぽい音が響いた
いや、それは『様な音』ではない
正真正銘、男が自らの娘の指を食いちぎる音に相違なかった
「アドルフ!」
光長が強引にサラとアドルフの間に割って入る。
明らかに異常な力を発揮するアドルフをほとんど投げ飛ばす勢いで引き離すとサラの容体を見る、負傷は小指一本。
どうも襲われた際のショックで気絶してしまったらしい。
「応急キットの手持ちは無いか。仕方ない、我慢してくれ!」
欠損した断面を掌から出した炎で炙り焼灼止血する、サラが僅かに顔を歪めるが起きる気配はない。
そうする間にも背後でアドルフが立ち上がる気配がする
向き直り、その姿を正面から見据える。
アドルフの姿は歪に変異しつつあった、枯れた樹皮に似た外骨格がその身を飲み込む様に全身を覆い始めており
その亀裂の内部からは黒々とした空虚が覗きパキパキと乾いた木々の割れる音を響かせていた。
変異した『樹皮』からは枝とも根ともつかぬ器官が這い出し獲物を探る様に周囲を弄っている。
アドルフのシンドロームはピュアノイマン、この様な変異は明らかに異常であった。
「例の異常変異か!」
サラの体目掛けて伸びた『根』を生み出した熱で焼き払う。
アドルフの衝動は開放、しかし例の異常変異によって衝動が飢餓に上書きされたのならば先ほどサラに襲い掛かった行動にも納得がいく。
兎に角今はアドルフの暴走が治るまで持ち堪えるしか無い。
その判断のもと全身のレネゲイドを活性化、戦うための熱を生み出そうとして…
……とてつもない空腹に襲われた。
一度は起動したレネゲイドを全力で抑制する。
体温が乱高下し全身から嫌な汗が噴き出す、今の空腹は衝動だ。
光長の衝動は闘争だ、だがそんなこととは全く関係なく飢餓の衝動を覚えた。
自分もまた変異しつつあると嫌でも自覚させられる、そして変異したオーヴァードに共通する特徴もまた嫌でも意識させられる。
『食人に対する強い衝動』
ギシリと奥歯を噛み締める、体の奥で暴力的な熱が湧き上がろうとするのを抑え込みアドルフと対峙する。
「ォォォ応!」
叫びを上げ、鳩尾目掛けてアッパー気味に拳を振るう。
樹皮と根に阻まれダメージは通らない、しかしその体を数センチ後退させる。
そしてきっちり同じ距離を前進し前蹴り、ダメージは通らないがやはり数センチ吹き飛ばす。
同時に脚が炎上した。
エフェクトを使ったわけではない、だがその脚は灼熱する鉄の様な外骨格に覆われその圧倒的な熱によって炎上していた。
レネゲイドの制御が徐々に自分の手を離れていくのを感じる。
もはや猶予はない、この炎が研究所に燃え移ったならば気絶したサラは間違いなく命を落とす。
そしてこの炎に自らの理性が飲まれれば目の前の男同様に暴走することも間違い無い。
サラを守るためにはそうなる前に最低でもアドルフ共々この研究の外に出る必要があった。
「いい加減に、目を覚ませッ!」
あらん限りの力を込めて腕を振り上げたまま駆け出す。
殴られた威力を殺そうと張り巡らされた根を、丁度腕から吹き上がった炎が焼き払いそのままラリアット。
アドルフの首を抱える様にしていつのまにか背後に迫っていた窓から。
地上4階、約12メートルほどの高さから外に飛び出した。
数秒の自由落下からの強い衝撃、バキバキと音を立てて二人の男の外骨格が砕け散る。
そして二人ともがゆらゆらと立ち上がり、しかし未だに炎を纏った男が放った拳が今度こそ鳩尾に食い込みその意識を刈り取った。
「状況終了……ではないなこれはッ!」
エフェクトの類は一切使っていない、しかし体内のレネゲイドは容赦なく励起しその衝動を刺激し続けている。
食え、食らえ、食い尽くせ、目の前のそれを食う権利がお前にあると囁き続ける。
そんな声を振り切って自らの未だ燃え盛る腕に食いついた。
噴き出す炎が自身の顔面を焼く熱と、歯列の食い込む腕の痛みと、そして口腔内に広がる血の味が衝動を抑えていく。
そして幾らかの血を飲み干したところでようやく光長も失血によって意識を手放すことに成功した。
───女の話をしよう
. 運命は残酷だ───
過去/キズは癒えず
現在/イマに意味はなく
未来/アスは陰惨を湛える
少女の未来は定められていた
用意された居場所
用意された役割
用意された末路
残酷なことだと誰かが言う
残酷なことだと彼女が返す
骸の塔で女神が微笑む
最後にその頂に現れるのは白馬の王子か
はたまた黒衣の死神か
───女の話をしよう
. 運命は残酷だ───
過去/キズは癒えず
現在/イマに意味はなく
未来/アスは陰惨を湛える
女は何も為せなかった
魔女に誘われ城を飛び出し
怪しげな薬と危険な儀式
不穏に囲まれ犠牲を見送る
そうまでしながら女は何も為し得なかった
流れる涙は川のように
川があればそれに潤う者もいる
彼女の涙に救われる物は果たして誰か
─そして黄昏の笛が鳴る
───女の話をしよう
. 運命は残酷だ───
過去/キズは癒えず
現在/イマに意味はなく
未来/アスは陰惨を湛える
女は過去に囚われていた
「お前ではない」
檻の小鳥を踏みにじる
「どうしてお前が」
小鳥の羽を毟り取る
積み上げた物は骸の牢獄
出たくもないから出られない
過去に囚われ食い潰した明日の
青い小鳥のお味は如何?
───女の話をしよう
小指/キズは癒えず
日常/イマに意味はなく
末路/アスは陰惨を湛える
それでも運命とは戦ってこそ拓かれる物だ
───では、その娘の話をしよう
. いつか訪れる、当たり前の親離れの話を───