相当量の説明を終えた少女、入椅子玲子はいつのまにか大きな部屋に入ることになっていた。
部屋と言うよりはホール。小学生頃に遊んでいた体育館くらいのサイズだろうか。
しかしその中身は体育館のような温かみのある雰囲気からは程遠い。
コンクリートほぼ打ちっぱなしの寒色系の壁と床に垂直等間隔に刻まれた線。
唯一見えるガラスの窓はこちら側からは見えないようになっている。
まるでSF映画のセットのようだと無作法に思う入椅子であったが、その考えはむしろ正しい。
何故ならばもはや彼女そのものがSFの象徴のようなものなのだから、あるいはその自覚が薄いからこそ少女は映画感覚でいられるのかもしれないが。
「えっと……」
想定よりも強く響いた自分の声に驚きながら、入椅子は持っていたバッグを端の方に置く。
『あー、あー、もしもし?聞こえますかね?』
室内に備え付けられたスピーカーから音声が響く、女性の声だった。
「あっ、はい!聞こえてます」
『了解でーすよっと、えーっと私のことはわかります?』
「はい、確かさっき助けて貰って……」
『ははは、さっきって言っても結構経ってるけどね話長いでしょーあの支部長サン』
「えへへ……正直何がなにやらさっぱり」
『いんや、それでいいんだ。いきなりこんなことになって十全に理解しろなんて土台無茶な話なんだよ』
スピーカーを通したからなのか、あるいはそれ以上に機械的でそれでいて人間臭さの残る声だ。先程出会った支部長の声も機械臭いというのもあるのだろうが入椅子の困惑はむべなるかなと言ったところだ。
『特にアンタらはレアケースの中でもレアケースだ、迅速に対応出来たって事自体結構凄いことだったりするんだわ』
「は、はぁ……」
『十全に理解できないとは言ったけど逆にこれは覚えておいて欲しいんだが……』
勿体ぶった前置きを持って続ける
『レアケースってことはつまりサンプルそのものが貴重な情報源だ。そんなこと本人の前で言うことじゃないけど『バイサズ』っていう名前が書かれた寄木細工の箱の山を前にして1つでも「解き方」がわかる箱があれば、割と色々応用がきく。そしてその解き方は1つよりも2つ、2つよりも沢山あれば得でしょうがないんだわな? だからこうして、箱が自分から開け方を調べてくれるって言うのは、もう濡れ手で粟だし自分から棒に来てくれる犬って訳よ。願ったり叶ったりなわけ』
「えっとつまり……助かるってことですか?」
『……いいねそれ、十全の百点満点だ』
スピーカー越しでその顔は見えないがとても素敵な笑顔だろうと、入椅子は勝手に思っていた
『改めて今回のオペレーターを務めさせてもらう立花千鳥だ、よろしく』
「それで……これから何をするんですか?」
『そうだなぁ、実際どこまで説明がいる?』
入椅子はこれまで説明された状況を改めて説明する。
曰くは『オーヴァード』という病気について。
或いは『バイサズ』という合併症について。
つまりは『変身』という症状について。
実際のところこれらの説明は正しくありながらも正しくはない。
医学上のウィルスの定義からかけ離れたその現象と未知性。
しかし辛うじてその振る舞いがウィルスに似ているからという理由ゆえの例え。
その状況そのものを既に知りうる要素に落とし込むということは理解する上で大切なことだ。
更にいえば千鳥の聞き方にはもうひとつの目的があった。
『模擬授業』という実在する勉強法だ
自分ではない誰かに、或いは話しかけられるものであれば人形でもぬいぐるみでもいい─── に自分の知識を教えるように説明することで、自分の中で乱雑になっていた情報を整理し他人に教えやすくしようとする。
それにより結果として教える前の段階より教えたものの知識への理解度が深まるというものだ。
もちろん千鳥が意図してそんな大学受験前の必勝講座めいたものを行った訳では無い
ただ人がそうすればより分かりやすくなるという無意識的な常識を行っただけだった。
「───って言うことですかね?」
『いいねぇ、さっぱりとか全然そんなことないじゃない。完璧よ完璧』
拍手できてたらしてるところだよ、と冗談を織りまぜながら千鳥は言葉を続ける
『そういう訳で、これから玲子ちゃんには実際に何を以ってして『変身』するか確認して欲しいわけ』
「……私が!?」
『オイオイ、他に誰がいると思ってるの?』
未だ現実感の薄い入椅子に千鳥は追い打ちをかける
『玲子ちゃんは聞いてなかったみたいだから言っちゃうけど、『バイサズオーヴァード』が『変身』する時の高活性状態は本当に未知数なわけよ。ワンチャン暴走して壁が天井に穴が開くかもしんないわけ。その点このホールはめちゃくちゃ頑丈に出来てるし、支部長から説明を受けてるあいだにセーフティ要員の確保も問題ナシ!』
「セ、セーフティ要因って」
さすがに現実感が湧いたのか、それでもその言葉の真意を計り兼ねる入椅子が言葉を濁すと
『んー? まぁ万一玲子ちゃんがやばいことになったら力づくで止める係?』
「ええ……」
『大丈夫大丈夫、吐くまでアルコール飲んで許容量を調べるようなもんだって!』
「わ、私未成年なんですけど!」
『じゃあスイーツバイキングで胃袋の限界に挑戦って言った方がいいかな?』
「……なるほど……」
思わず納得してしまっていた
ちなみに入椅子の限界は7店舗連続らしい
『実際「条件付け」を把握しておくのは大事なわけよ、もしも条件を知らないで街中で暴走しようものならそれこそ「コト」だからさぁ』
「うっ、確かに」
『そういう訳で「せいしんじょうたいをきりかえるなんらかのぎしきてきどうさ」を知る必要があるんだけど……実際何かある?心当たりとか』
そう問われる入椅子は小さな唸り声とともに首を傾げるが……思い当たる節は存在しない。
『ま、だろうねぇ……』
でも安心して欲しい、と言外に「待ってました」という言葉の意味を含ませるようにホールの装置の一部が動く。
等間隔に刻まれた壁の一部分が戸棚のように開き、中から様々なものが出てくる。
ナイフであるとかまち針であるとか危険な刃物類から。
果ては孫の手、ハリセン、理科室の人体模型まで。
『まー色々あるから、とりあえず色々試してみようじゃないか!』
今思ったんだけどもしかして千鳥さん、さっきから笑ってない時がないんじゃないか?
入椅子はそう思った。
場所は変わってそこそこの広さの個室。
高い役職を持つ人に相応しい黒のデスクと、高い役職を持つ人の個室に置くにふさわしいフォーマルなソファーにそれぞれ1人ずつ。
「それで、君はどうしてここにいるのかな」
「そりゃあもちろんヒマだからデッスヨー!」
デスクに座り書類作業を続ける男性が目線を向けることなくソファーの女子に言葉に投げる。
その背広姿に違わぬところなく、淀みのない声だった。或いは声が人らしくないとも例えるべきか。
しかし空調がきいていたとしても、その首元までを覆う背広姿は些か暑そうに感じる。
対して有閑に耽る女子の格好は真逆のところにあった
ショートデニムから伸びた足がソファーから投げ出さればたばたとその現状を端的に表し、くの字に曲げた細い腹部を支えに映像を映すタブレット端末を眺めている。
「あはははは! いやー堪んないにゃあこれは!」
「一応確認として聞いておくけどミヤコさん。それはちゃんと頼まれたことをしているんだよね? 決して署内のWiFiで動画を見ているとかではなく」
「そんなワケないじゃないですか永山サァン、私はいっつもマジメでセイジツですよ?」
ミヤコと問われた女子───鏡宮ミヤコは画面から目を外し、永山と返した男性───永山栄に視線を向ける
「って言うか、永山さんも私の『好物』はわかってるじゃないですか? だったら尚更こうやって見る方がおトクなわけで」
「うん、その事は勿論分かっているつもりだ。現に「セーフティネット」を頼む時、隣室で待機とは言わずに映像監視用の端末を渡したわけなんだけれど」
くぐもった溜息まじりに永山は言葉を続けた
「どうしてわざわざこんな煙臭い部屋で見てるか、って所なんだ」
「んー、まぁ、なんですかね? やっぱ一人でいるのって寂しいじゃないですかー」
けらけらという音のしそうな笑い方でミヤコは返答する。
「同じ担当の立花さんはオペレートにかかりきりだしー、とは言えまだ「今後」が決まってない人をみんなで見るっていうのもバツが悪いじゃないデス?」
自分より位が上の相手に砕けた口調で話す鏡宮であっても、他人のプライバシーを心配する節度は持ち合せているようだ。
「それにどうせなら普段中々会えない人の事を撮ってみるのも悪くないかなーって」
そう言ってミヤコはソファーの横に置いていたカムコーダをぐうたら体勢のまま器用に持ち上げ、レンズを永山に向ける
UGN───千鳥、永山、ミヤコ達が所属し、そして入椅子の今後をサポートする人ならざる組織のロゴが書かれた特注のそれは、テレビ局の機材に引けを取らない高精度で永山を録画している。
「ところで永山さん? 今は何をしてるんですか?」
「さっき鏡宮さんが見ていたのと同じだよ。つまりは「現状」と「今後」だ」
UGNでは『オーヴァード』の今後の保障を全うすべく、一般人間社会の裏で活動を続けている。
今回はオーヴァード同士の争いによる物理的影響、例えば壊れた道路や建物。他にも事件に巻き込まれた『オーヴァードの少女』以外への情報操作など。
「つまるところ、鏡宮さんから見ても僕から吸っても大して面白くない情報だよ」
カムコーダを向けて数分、或いはカムコーダを向ける前から数十分続けていたその作業を眺めるミヤコは
「うーん、確かに……こうして撮ってても永山さんがキーボードを叩くか、書類を見てハンコを押すかで控えめに言って……」
「花がないかい?」
「もうこれ以上となく!」
容赦がない。
「そうだろうね、だからもっと花のある人を見ていればいいと思うよ」
「アチャー! これは綺麗な正論返されちゃったなー」
機材を降ろし、改めてタブレット端末に視線を戻す。
「ところで永山さんは見ないんですか? 結構時間、経ってますヨ?」
「もうそんな時間か、確かに確認した方がいいかな」
ある程度作業に目処がついたのか、体のコリをほぐすように両腕を軽く伸ばす。
永山はデスク備え付けのマイクでオペレーターといくつかの会話を交わす。
仕事の優秀なオペレーターの計らいですかさず横のプリンターから先程からミヤコの見ていた映像の「ログ」を印刷してもらう。
レーザープリンタ特有の僅かな温かさの残る印刷物をくるくると束ね、同じデスクに備え付けられている機械と接続する
「なぁるほど、その手がありましたか」
「君の「趣向」からは少し外れるかもしれないけどね」
「めっちゃ解釈違いですネ!私はもっと目から食べたいので!」
「はは……じゃあちょっと失礼」
デスクから離れ、一室の端の方へ足を運ぶ
胸ポケットに入れていたライターの火を先程接続した印刷物に近づけ吸い口になっている機械の方を唇でくわえる。
その一方でもう片方の手は壁際に設置された換気扇のスイッチ紐を引っ張り、少し茶色に染まったファンが瞬く間に回転を始める。
その行程はさしずめ喫煙のようであり、実際にその行程は喫煙である。
しかし永山にとってこの作業は嗜好品としての「喫煙」とは大きく異なる。
何故なら永山はこれが「主食」であり、且つ有益な「手段」でもあるからだ。
彼はUGNに属する人間の例に漏れず、人ならざる力を持つ。
その最たるものがこの喫煙による「食事」であり、そしてその「食事」としての本質を示唆する。
彼にとっての食事とは煙や霞を食って生きるような仙人めいたことではなく。
煙にした印刷物、この場合は文章を「情報」として食らうのだ。
その為読書としての行為として記録を読むよりも、その動作を喫煙に置き換えた方がより情報の「深度」に大きな差を持つ。
具体的には、その情報を脳内で反芻し追体験することが出来る。
本当は永山の「食事」としての「好物」は情報の中でも今回とは異なる特定のものではあるが、だからといってこの効率的な体は有効に使いたいということだった。
「(さて、変身は確認出来たんだろうか)」
口内よりも深いところまでしみ込んだ煙を体の中で咀嚼しつつ、換気扇に運ばれやすくするように煙を吐く。
永山の頭の中に映る光景は
「まっどちぇーん! かーふと!」
よくわからない言葉を叫びながらハシゴ祭りのポーズを決める入椅子玲子の姿だった。
「ごふっ!」
反芻される光景の意味不明さに思わず吸っていた煙を咳き込んでしまう。
「おおっ!これは意外性バツグンの情景!」
タバコを吸う準備を始めた辺りから予めカムコーダを構えていたミヤコが喜びの声をあげる。
「どこ食べた? ブリッジしながらボタンに触れたやつ? トランプと花札を交互に脇に挟んだやつ?人体模型と社交ダンス踊ったやつ? あー待ってもしかしたらアレ? コメカミにモデルガン付けながらメガネとお面を取っかえ引っ変えしたやつ!? いやぁ、シリーズ何作目だよっ! って感じー」
「ミヤコさん、もしかして知ってて……」
「ヤダなぁ、セーフティネットにしたのは永山さんじゃないですか! まぁちょっとしかめ面でも見れたらスパイスくらいにはなるかなーとは思ってましたけど、不意打ちだと結構オイシいことになりますネッ!」
仕事の進捗を聞いてきた時点でこういった結果を目指していたことは明らかなようだ。
一度気持ちを落ち着かせ改めてタバコの煙を口に含む。今度は意識して情報の始めの方、つまりは「何故あんなことになったか」を反芻しようとする。
「………………」
頭の中で呼び起こされる女性二人のやり取り
被験者入椅子玲子側の症状の確認も済ませ、これまでのバイサズオーヴァードの変身例を元にした汎用儀式行為のフォルダリスト。
しかし発症例の少なさ故に僅かな手がかり可能性の示唆すら含めたその文量は決して少ないものではなく。
一つ一つ試していては日が暮れる、なんならある程度の例を進めていた段階で既に西日が差し込みそうだ。
そこでオペレーターの千鳥がこう提案した
───『どうせだったら纏めて出来そうなのは一気にやってみたら何かしらヒットするんじゃ?』
と。
それは千鳥本人としてはちょっとしたジョークのつもりだったのだが、入椅子玲子という女子はなんというか、真面目というか誠実というか。
強いていえば素直な性格だったらしく、言う通りにしたようである。
ログに残っている会話を一部抜粋すると。
『とにかくなんでも。なんっっっでも試してみるしかないんじゃない?』
「なんっっっでも?」
『そうそう、何せ「変身っ!」って叫ぶケースだってあるんだもん、玲子ちゃんもとりあえず叫んでみる?』
このようなやり取りもあった。
事実変身にまつわる汎例もいくつか試しているようで。
折りたたみ式携帯電話とコインを3枚、血吸コウモリを逆さにしながらペットボトルをシャカシャカと構えたりもしていたようだ。
「携帯電話の時に入椅子さんは生まれたばかりじゃあないか……?」
「永山さん混乱してるのはわかりますけどツッコミどころはソコでいいんですかね……?」
その言葉を呼び水に一度気持ちを落ち着かせた永山は改めて吸った情報を確認する。
行動の異質さや嬉嬉として録画を進めているミヤコの顔に翻弄されていただけで、手順自体はスムーズに進んでいることは確かだ。
しかしその結果は芳しくない、と言うより芳しくないからこそ奇怪な行動に出たとも言える。
「んじゃ、進捗確認ついでにLIVE映像いってみます?」
一息ついた永山を確認してミヤコは胸元に掲げていた端末をくるりと永山側に返して見せる。
「しゅわっち!」
ちなみに映っている映像は、スプーンを天高く突き上げながら叫んでいる入椅子の姿があった。
これで先程のログの内容が捏造されたものでないことが証明されてしまった、永山としては地味に嬉しくない。
やりとりを続けながら儀式行為の組み合わせを提案する千鳥の声は、隠しきれてないようで僅かに笑みがこぼれた声音だ。
『カレースプーンでもダメだったかよしじゃあ次!埴輪ポーズを取りながらラベンダーの匂いを嗅いでみて!』
「そ、その組み合わせの意味は」
『なんか時間遡行とかに影響ありそうじゃん?時をかけそう』
「私が見た時は高いところからジャンプしてたような……」
『ああそれアニメ映画版でしょ、元々はラベンダーの香りだったんだよ原作ではね』
「ほへー……」
そう言いながら端末越しに見える入椅子は壁側の戸棚からラベンダーの花を探す。
作業も数を重ねるうちに大量に溜まりつつある雑貨はもはやモノボケ大喜利の施設の様相を呈しつつあった。
「とりあえず、大きいので見ようか」
誰が片付けるんだというお決まりの文句をすっ、と堪えた永山は自分のデスクに戻りリモコンを操作する。
横合いに併設されたモニターが点灯し、幾ばくのザッピングを経て入椅子達のいる部屋を映し出した。
「タシカニー」
ミヤコもそれに同意しつつ、映像に映った埴輪ポーズの入椅子を眺めていると、モニターのスピーカーから声が聞こえてきた。
「あっ、なんか来たかも」
「「マジ?」」
二人同時だった。
「あっ、なんか来たかも」
『マジ?』
実は三人同時だった驚きの声の三人目、千鳥は全く想定外という素っ頓狂な声で続けた
『えっちょっ、どんな感じ?』
「なんか腕のあたりがふわふわしたって言うか……でもブリッジした時も頭のあたりがふわふわしてたからわからなくて」
『それはただ頭に血が上っただけだ! 物理的に! ええいクソ埴輪ポーズってなんだよ、それともラベンダーの方か?まさかマジでタイムリープ起こすなんてことは無いよなぁ』
儀式行為として一体その行動のどの指針が正しかったのか、判断を決めあぐねて悪態をつく千鳥の上に声が重なる。
『もしもし、スピーカー越しですまない入椅子さん聞こえるかな?』
その声には聞き覚えがあった。
保護してもらってから施設としての概要を予め聞かされた人物。
「もしかして、永山さんですか?」
『そうだよ、反応があったようだからちょっと詳細を聞けたらなと思ってね』
「でも、まだ変身できてなくて」
状況を説明しながらも混乱を隠しきれない入椅子は埴輪ポーズの左右を入れ替えたり、腰の角度を変えてたりしている。
『そうだね、ただその動作に何かしら関連性があったことは事実だ。例えば入椅子さんの周りに遺跡かあるかどうかとかそういうことになるのかな』
「それはちょっとわかんないですよ……」
『そうだよね……』
真剣に埴輪の処遇を考えている沈痛な声音の永山の後ろから、くすくすと堪えるような笑い声が反響して聞こえる。
『みんなして考え方が固いんだなぁもう』
「だ、誰ですか?」
ここに来て始めて聞いた女性の声音に入椅子は驚きを隠せない。
『自己紹介はあーとで、とりあえずセーフティネット役だったってことだけわかればヨシ!』
「えっ、じゃあもしかして暴走」
『あはははは、早とちりしちゃってるネー!でも大丈夫むしろこれから変身するんだから』
埴輪ポーズを崩していいか悩む入椅子にミヤコの……入椅子からすれば知らない女性からの声は続く。
『埴輪ポーズってのは確かに行為として正しいけど完全な正解じゃない、それに埴輪ポーズって言う名づけ方自体が混乱の元だよ。埴輪とか土偶とか縄文時代の発掘物だけど地母神崇拝のための人形だっていう仮説があってオッパイとか結構でかいらしいよー?』
「オッ……!?」
『実際によく雑誌であるよね腰に手を当ててもう片方の手は顔に寄せて、腰をくねらせてこう……「あはーん♡」みたいなヤツ』
通信越しだけれども彼女が今どんなポーズをしているのか入椅子は思い知ることが出来た。
『そしてラベンダーの方。これはタイムリープとか考えすぎちゃったからダメ。ラベンダーはラベンダーでしょいい香りのする植物』
『香り……そうか香料、香水だな!?』
千鳥もようやく得心がいったようだ。
『そーいうこと、セクシーなポーズと素敵な香りの植物、どれもオンナノコ的には外せないよねー?』
『女の子……ってまさか』
現状唯一の男性永山はかなり遅れて答えにたどり着きつつある。
「女の子……」
『そう!入椅子チャンの変身の鍵は『女の子』にあると見た!』
ここまで言われて入椅子は思い出した。
人ならざる異常、人外の異形、訳の分からない事態。
それら全てを踏まえたとしても、私は女の子なのだと。
入椅子は幼い頃より女子が好きだった。
女子という自分が好きだったし、女子としての自分の在り方を良くしようということはとても好きだった。
女子らしく美しい姫が好きだった。女子らしく立ち向かう少女が好きだった。女子らしく夢を求めるのが好きだった。
そもそもだって今日の事の起こりは、友達と一緒に飲みに行こうとした新商品だったじゃないかと。
そう思った時、彼女が取る行動は既に決めていた。
「千鳥さん」
『どうしたよ?』
「なんっっっでも?」
『…………なんっっっっっっでもだ』
「……はい!」
そう言いながら入椅子は胸ポケットから自分の愛するものを取りだした。
いくつかのデコレーションが施されたスマートフォンを構え、インカメラモードで自分の微笑んだ姿を撮影する。
カシャリという撮影音とともに画面に指先を滑らせる。
それは画像編集機能、女子をより女子らしく見せるそれで、入椅子は自分の腕をなぞった。
その瞬間自分の体に大きな脈動を感じた。
先程腕にあった暖かみはより強くなり、熱さと呼ぶ方が相応しい。
自分の腕が変わっていく感覚。しかしそこに痛みはなく、あくまでも自分の体として人ならざるものとしての正当な変化であることを如実に教えてくれる。
堪らず入椅子の食いしばっていた自分の口から声が漏れる。
しかしそれは自分の声などではない。
歯車同士の軋み合うような甲高い金属音。
無機物的な声色が自分の喉から出る恐れを意識する猶予もないままその音は頂点を迎える。
「───────ッアア!!」
異形を象り、異常に関わり。
異常に───成る
自分の腕の暑さが弱まった時、その視界の先にあるものはまるで違うものだった。
人体とも金属とも違う今まで見たことないような腕部。
肘先から細くしなやかに変化したそれに違和感はなく、先程まであった自分の腕と同じような感覚で目の前に「在った」
細く伸びたそれはフェンシング競技で見る剣がそのまま自分と一体化したようにも見える。
しかしレイピアと大きく異なるところとして、その先端に先程まで自分が握っていたスマートフォンが横向きに備わっている。
自分の体が変わっているという怖さ以上に、自分の体が変わっていることへの違和感の薄さに自分自身でも少し驚きながら入椅子は助けを求めるのであった。
「あのー、これはどうやって戻せば……」
誰かいる、と入椅子はコンビニの中でそう確信した。
太陽が沈んでも星の見えない明るさを維持したその店内で入椅子玲子は辺りを見回した。
レジ内側に2名、品出し中の1名、立ち読みしてる2名、向こうの棚に子連れ1組、お手洗いに1名、ドア向こうの喫煙所に1名。
そしてコンビニスイーツを物色中の私が1人。
意識せずとも展開している自身の『領域』は更にそこに1名、人間がいると伝えていた。
しかしその示す地点に人影はない。
入椅子の立つ横側、他メーカーのスイーツ類の並ぶそこに違和感を覚えた入椅子は不思議そうにそこを眺めている。
周りに「こういった状況」で頼れる人がいないこの現在に打てる手を考える。
方針を固めた入椅子は懐からスマートフォンを取り出す。
自身の『症状』の出力先として定めた、或いは定まったそれの撮影モードを選び視線の先をカメラに収める。
彼女の『異常』、オルクスは『領域』を定める。
人間が持つ五感の外側から世界を知覚する。
その力を含ませたカメラで持って視界の先にある気配をより強く見定めようという算段だ。
液晶の画面に写る姿は少女のそれをしていた。
ピンク色の髪の毛はセミショートヘアーをしており肩にかかるかかからないかくらい。
手の先を完全に隠すだぼだぼのパーカーは腰はおろか太ももまで長くスカートのように少女を覆っている。
袖先から伸びたポリ袋は重さで張っており、はみ出た白い塊のようなものが見える。
「んー?そりゃ悪手ってヤツじゃないでス?知らんですけど」
ピンクの髪が揺れながら視線がこちらのカメラに振り向かれる。
「ええっ……あーいやちょっともしもし? もーいきなり電話しないでよー!」
「取り繕わなくてもいいよ、聞こえてるんでしょ」
耳元に当てていたスマートフォンを戻す、整理されたホーム画面を表示していたそれに電話の通知は微塵もない。
「はぁーあー、アサギリ以外に気づかれるとか……」
「えっ、と。もしかしなくてもやっぱり」
「そうでス、『同族』」
その言葉だけで、もといその前から既にわかりきっていたことかもしれないがそれでも欲しい言葉であることは事実だった。
「そうだよね! あのね、わたし入椅子玲子。もし良かったらなにかお話でも」
「お話ぃー? 結構甘々なこと抜かしやがりますネ?」
好意的な交流を望んだ入椅子の態度は暖簾に腕押し、むしろ暖簾がカウンターパンチャーの如く返される。
「こんな場所でこんな風にしてる「同族」に普段ノリで絡むのは絶賛大暴投でしょ」
カメラに向かってニヤリと笑う眼前の少女に微かな変化が訪れていた。
ニヤついた顔に半分だけの仮面が浮かび上がり、体が霞んでいく。
恐るべきことは、入椅子玲子───この場合は『バイサズ』としてある程度の修羅場を体験した彼女の異能『オルクス』で以てしても更に姿を霞ませる少女の異常性である。
ジャンケンにグーを出した上で向こうのチョキが勝つような、そんな「埒外感」
僅かに身じろぎする入椅子の唇に違和感が走る。
曰く、人間において最も触覚に優れているのは唇だとか。
物に触れた時に温度を鋭く感じることが出来るのは唇だという、その唇に僅かに震えが伝わる。
瞳に失し、音は聞こえず、臭いはせず、無味無臭の霞。
辛うじて感じる音の震えを感じる唇が、これは『咆哮』なのだと告げていた。
「"ミミは別に切った張ったをしたいわけでもないんで"」
突如耳元に微かな声が響く。
自らを「ミミ」と名乗ったその声音は先程相対していた少女のそれと同一で。
そして半分の仮面も丈の大きいパーカーもいつの間にか消え失せていて。
「"ああ、でも『同族』と乳繰りあいたいならいい所を教えまスヨ?"」
新宿の住所を告げるとその声は更に遠くなり。
いつしか入椅子の周りからその気配は完全に消え去っていて、1人取り残されているのだった
・控えめに言ってTシャツがダサい
・ズボンが迷彩柄だ
・人への『試練』が好きなのでプロフェッショナルとかアウトデラックスとかクレイジージャーニーとか情熱大陸とかをよく見ている
・クレイジージャーニーのヤラセの件でテレビ局にエンジェル・ハイロゥをぶちかまそうかちょっと考えた
・好きな芸人は「アキラ100%」(『試練』に挑んでいるため)
・光を浴びることが好きなので昼の公園でぼーっとしていたら不審者目撃情報に名を連ねた
・夜の公園で星を見ようとしたら職務質問された
・しょうがないので照明の強い家電量販店のマッサージチェアで光を浴びながら背中を揉まれてたら店員に見咎められた
・人への興味が尽きないため割と聞き上手である
・しかも顔がいいので地域のおばちゃんのウケがよく、トークにサラリと混ざりいい感じの相槌を挟むことで会話がよく進んでいる
・プラネタリウムは好きだが暗いので眠ってしまう
・同じ理由で宇宙映画と聞いて見に行ったアド・アストラでも眠ってしまった
・光るものが好食条件なのでヒカリモノを食べる
・ホタルイカとかよく食う
・最近はオロシャヒカリダケに興味を示したが実在しないらしくちょっとショックだった
・でも自分に土はあっても水はなかったのでやっぱりお魚の方が気になるらしい
「《ラスト・アストロ》」
それは一瞬だった。
一言呟きながら天を仰ぎみたネビュラの体が音も立てず、瞼を落とさずにはいられない眩い光が口から溢れる。
"それが攻撃だった"
エンジェル・ハイロゥ、数あるオーヴァードのシンドロームの名に於いて最も普遍的且つ最も単純な物である。
定義は───「光」
自身の異能を用いて光を行使する。或いは光を隠す「闇」を用いる。
ネビュラのそれは前者だが、その出力がただひたすらに規格外なのだ。
全ての光が全ての方向に向かい全てを覆い隠す。
対向車のハイビームで前が見えなくなる蒸発現象のように。
それの何倍も、何十倍も、何百倍も、何千倍も、何万倍も、何億倍も、
或いは"何光倍"か。
故に光に質量が生まれる。
瞳を眩しさで覆い隠し、自らの体の輪郭すらかき消し、肉と骨すら透かして写すかのようで更に比類するものはなく。
幾重にも幾重にも束なった光の塊が全てを凌駕する。
《ラスト・アストロ》
バイサズオーヴァード、ネビュラ・スカイ。彼の放つ最初にして最後にして最光にして最悪の一撃である。
これは有り得たかもしれない可能性の物語。
1人の女性がN市の港を歩いていた。
彼女はこの折様々に複雑な経緯と混迷で困難な事情が絹織物のように重なり合った結果、UGNの緊急メンバー、役職に準えて言うのであれば『イリーガル』に晴れて所属することを決めた入椅子玲子である。
そしてこの度、UGNイリーガルとしての情報収集に当たる彼女であった。
「うーーーん……あとはこの辺、かなぁ?」
地形特有の海風に煽られるスカートを押さえながら、愛用のスマートフォンに表示される地図とにらめっこをしている入椅子は港全体を確認するよう、首と胴を左右に動かす。
港そのものは漁を終えてしばらく経ち、加えてUGN側の根回しによるものか人の姿もまばらである。
「?」
入椅子の視線が1箇所にて止まる。
人がまばらと言ったばかりの現在地で悠然と座っている人がいたのだ。
訝しみながら入椅子は歩みをその人物の元へ進めていく。
近づいていって分かったことだが、その人物───背格好から鑑みるにおそらく男性───はどうやら釣りをしているようだ。
無地のTシャツに同じく色味の薄いスキニーパンツ。
ライフジャケットも羽織らずいるということは余程のもの知らずかはたまた余程の自信家か。
金属製で折りたたみ式のコンパクトな椅子に足を投げ出すよう腰掛けながら両の手は緩く釣竿を握っている。
首は斜め下を向き、上下に揺れるウキとそれに合わせて形を変える穏やかな水面に視線を向けている。
「えーと、釣れますか?」
人物のすぐ後ろまで辿り着いた入椅子はそんな世間話を投げかける。
梨の礫も覚悟した入椅子だったが、果たして声はあった。
「いや、全然だ。どうやらボクは水に嫌われているらしい」
中性的な声だ。
「キミも釣りをしに来たのかい?」
「えー、私はその……」
行間の空白を無理くり埋めるような音を口から零しながら、彼女は自分のスマートフォンに用意された「台本」に目を通す。
「こ、この辺りで不審人物の目撃情報が多くて、聞き取りを行っている所なんです」
「ふむ」
頷きの声とともに目の前の人物は釣竿を引き寄せ、雫が滴る釣り針に焦点を当てる。
「不審人物と言うのは、例えるなら初対面の相手にいきなり話しかける女性のようなことを言うのかな?」
「うっ」
その言葉に思わず入椅子は呻き声を上げる。
確かにこの状況では明らかに自分の方が怪しく見えるかもしれない。
慣れないお手伝いに不安の色を隠せない入椅子だったが、その気持ちを振り払うようにちゃぽんという音が響く。
「冗談だよ」
釣竿から放たれた一式が水に飛び込む音だった。
「それで、不審人物というのは?」
「そうでした!えー」
入椅子が簡潔に概要を伝える。
3日ほど前から度々目撃されてるということ。
黒い服にローブのようなものを羽織り体格性別等はよく分かっていないということ。
傷害事件も確認されており、その被害者に共通点は見られないということ。
「以上なんですけど……」
「随分とあやふやだね」
「えへへ……私もそう思います」
何故か照れ隠すように入椅子は言葉を返す
この情報自体のあやふやさは入椅子と対面にとって大きく違う意味を持つ。
つまるところを言えば、あやふやなのは情報の真偽、正確さだけではないということだ。
入椅子玲子が改めて所属することとなった組織は扱う物が物なだけに決して公にはされていない。
そのため今回の不審人物というのは、実は「人物」であるかどうかすら怪しい。
それは入椅子と、或いはUGNに所属する彼ら彼女らが秘匿すべきものと同一だろうという示唆に他ならない。
存在しないと思われた被害者の共通点。
人を喰らうことのなかった人でなしが人を喰らった人でなしを貪り喰らう異常事態。
ジャームと呼ばれる人から外れ更に人道に背いたもの。
つまり、怪物。
「ともう……私の上司さんも、全然詳しいことがわからないみたいで……」
「そうだよね、だからこそキミが聞き込みを行っているんだろう?」
「そうなんです、一応この辺りにも警戒を踏まえて不要不急の外出は控えて欲しいと言ってあったみたいなんですけど」
勿論UGNからの情報操作だ。
「それでも外にいたってことは、もしかしたら何か見てたりしていないかなって……」
「今日一日ここにいるけれど、残念ながらそう言ったものを見た覚えはないね」
想像よりも長い時間に驚く入椅子は言葉を聞き取りながら視線を椅子の横にあるバケツに向ける。
魚が弾む音もせず、そもそも水が張られているかも疑わしい。最初に言っていた嫌われているというのは筋金入りのようだ。
「流石に引き上げ時だろうか」
虚しさすら感じる釣り針を手元に引き寄せ、折りたたみ式の釣竿をしゅるしゅると縮めていく。
乾いた音と共に畳んだ釣竿一式をバケツの中にしまい入れる、本当に釣果はゼロだった。
「キミわざわざ教えてくれたのにその不審人物に出遭って、頭から飲まれるというのも悪いからね」
「頭から───」
入椅子の疑問は立ち上がりこちらへ向き直るその人物の顔を見て失われた。
帽子も被らないその灰色の髪の毛が海からの光を浴びてちらと光ったからだろうか。
陽の光を浴びて一日いたというその肌がくすみ一つなかったからだろうか。
或いは双眸に移るその虹彩が微かに光りこちらの瞳を離さなかったからだろうか。
「すっ…………ごー…………」
端的に言えば、あまりの美形ぶりに入椅子は驚きを隠せていなかった。
「もしかしてテレビの撮影とかなんですか? 釣り番組とか? えーでもそれならスタッフさんとかいますよね。じゃあYouTuber?」
カメラが回っていたら汗かいてるけどどうしようなどと、慌てて取り繕うように首をキョロキョロ動かすが、その予測は的外れで。
「そのどれも当てはまらないかな」
「えー!? じゃあ本当に釣りをしているだけなんですか? えー?」
信じられないかと言うような顔でその全身をマジマジと眺めている。
「じゃあいっその事モデルさんとか目指してみません?ビジュアルオーディションとか絶対合格しますって!」
「……………………」
返す言葉を用意する間もなく、入椅子はスマートフォンの画面を見せながら畳み掛ける。
「ほら。ここら辺なんか良くないですか! KSGプロダクションって言うんですね『未来のFutureHeartsStarはキミだ!』なんてカッコイイですよねー!」
「スター」
「はい!」
その言葉に興味を示したのか眼前の人物は頬に手を当てて何かを考えているようだ。
「……どうしたんですか?」
「少し懐かしいな、と思ってしまってね」
「じゃあもしかして、昔スターだったんですか!? それならそのルックスもうなずける……ふむふむ」
確認のため入椅子の首を上へ下へと忙しい。
「些か対応に困るね」
暫くしてから否定的な口調を含むそれを受けてうひゃあと慌てて声を上げた入椅子は距離を置く。
「ごめんなさいっ、ついに気になっちゃって」
「いや、分かって貰えてなによりだよ」
話の腰は曲がったが、聞き取りは十分終えただろうと入椅子は挨拶もそこそこにそのまま立ち去ろうと踵を返した時。
「光」
「っ、はい?」
「キミは光みたいだ」
突然の隠喩表現に戸惑う入椅子に、眼前の人物は続きを紡ぐ
「光の速度は「光年」と例えられる
それは一瞬でこの星を7度半回り、月へ2秒とかからない
ボク達を照らす太陽さえも10分かからないらしい
だからキミの感情を光だと思った
見ず知らずの人に突然話しかけた
矛盾を思考する前に訊ねようとした
そして興味を示したものにはすぐ食いついた
それを光のようだと思ったんだ」
「えへへ……確かにせわしないとか言われてるかも……迷惑になっちゃってますね」
「そんなことは無いよ」
ネビュラはまたも、滔々と語る
「光は縛られないんだよ
光は先程も言ったように高速で、光年という単位を用意されるほどだ
キミのそれはきっと何よりも速いんだろう
意志表明を紡ぐ言葉は空気の壁に遮られる
握手を求める動作は脳のシナプスが幾重にも絡まる
その何ものよりキミの感情という光は先を行く
"音"を"尾"にする」
落雷はその稲妻と雷鳴の時間差で距離を調べることが出来るという。
そんな科学の授業の単元を入椅子は思い出していた。
「そして光は場所を厭わない
空を見上げれば太陽が
夜が更けても月明かりが
人々はその稲妻を自分たちのものにし
全ての場所に光を齎した
光はキミ達に自"由"を"良"しとした」
「自由を……」
「だからキミもきっと光のままなのだろうね
キミは感情を是とするんだろう
助けようと思った時に努め
救いたいと思った時に駆けて
跳ね除けたいと思った時に抗う
そういうものなんだろうね」
入椅子の脳裏に浮かぶのは一人の女性の姿。
自らが咎の全てを背負う覚悟で務め駆けて抗った1つの顛末。
「音尾由良」
「えっ?」
「ボクの名だ、キミと同じ光のような
音を尾に置き、自由を良しとする」
そう言って眼前の人物、音尾由良は入椅子から離れていった。
その言葉の意味を理解しようとその場で動けないでいるとスマートフォンから通知と遺憾の意が投げられる。
入椅子は聞き込みの弁を返すが、電子生命のオペレータは一言"そこに生体反応はいないぞ"とだけ返すのだ。
だからこれは、有り得たかもしれない可能性の物語。
瞬間、景色が変わる。
足の数にしておよそ10歩はあったであろう距離を彼女は一切を動かすことなく辿り着いていた。
それは彼女の右腕の力によるものである。
肘の辺りから本来の形を失い、腕よりも長い骨を削り出したかのような細剣を形作る。
切っ先───本来は鎧の隙間に通す鋭く細いポイントは存在せず、その先には長方形の容器とそれに収まる電子端末。
現代社会において必要不可欠、特に高校生の年頃の彼女ならば殊更重要さを占めるそれ、スマートフォンのシャッター音がほんの僅かばかり遅れて細剣の先から響いた。
縮地、と呼ばれる異能である。
距離と距離の間に生じる動くという行為そのものを省いた彼女の腕は、否全身は人の常識を越えている。
セルフタイマーショットを撮るためにフォーカス先へと駆け寄る青春の一コマよりも速くカッ飛ぶ先には、オートフォーカスで捕捉した男性が1人。
肩幅まで開いた足と胸元で組んだ腕に僅かに逡巡こそ感じたが、しかしその後の動きに一切淀みなく。
軽く握った両の拳を前後に構える。
その拳は薙ぐように自分の元へと飛来する細剣と衝突する。
「正義ッ!」
その刹那男は一声とともに拳を強く握り締める。
するとどうだろうか、まるで擦られた燐寸のように激しく燃え盛る。
しかし燐寸そのもののように燃え尽きることはなく、そして腕が焼け焦げることもなく細剣を弾き返す。
そう、彼女がそうであるように男もまた異能の使い手なのだ。
「わっ、と……女子力!!」
腕ごと弾かれてたたらを踏みそうになった彼女、入椅子玲子はすかさず二撃目を放つべく細剣を振るう。
「その程度では我が正義には届かんッ!」
眼前の男性、只野正義は二撃目或いはそれ以降の全ての攻撃をシャウトと共に弾き、いなしていく。
流麗たるその挙動に入椅子とその細剣は怯む様子を見せず、激しい運動と目の前の2つの炎塊にちりちりと頬を焦がされ汗が顎に伝っていく。
そうして暫くの間、振るいいなされていく1つの殺陣の演目のような情景は続いていく。
「そろそろ正義の一撃を、食らってみるか!」
頃合を判断したのか、正義は入椅子の眼前から姿を消す。
いや、厳密に言えば実際に消えたのではない。ただ単純に正義はしゃがんだのだ。
しかしながらこれは入椅子の虚を完全に突いた形となる。
横薙ぎに振るわれた入椅子の細剣は弾かれて体勢を戻すことも、しかしながら振り抜いた体幹を元に戻す地力もなく完全に胴が無防備な形となる。
「 正 義 昇 拳 ! 」
ジャスティスアッパーと一際大きく叫びしゃがんだ体勢から全身のバネを接続した一撃。
入椅子の体は拳を起点に腹から持ち上がり、ここまま倒れるだろうか。
しかし入椅子は挫けなかった。
吹き飛ばされる刹那自らの右腕に手を伸ばし、何かを取り出す。
つんのめる体勢をあえて全て受けきる形で、寧ろ自分から飛び込む形でくの字に曲がる自分の腹から正義の肩を追い越した。
そうして左手で取り出していた新たな短刀を正義の背中に突き立てると
"ぷすっ"と言う間抜けな破裂音と共にカラフルな紙風船が弾けた。
「ふむ……一撃を喰らってでも、敢えてその勢いを殺さず反撃の糸口を掴む、まさに正義!」
「えっと、それってつまり───」
「無論、その正義を認める(訓練は合格)としよう!」
「やったー! 約束守ってくださいね!」
「何案ずるな。正義は必ず約束を守る……対価のために努力するのは正義的にNO GOODだが、努力の先には対価があるのもまた正義。そこを間違える者は万死に値する!」
「そ、そこまでなんですか」
「故に食堂メニューの1つや2つなど容易いものよ!しかし入椅子くんも随分と即物的じゃないか。確かにジャスティスマンの一枠前はお菓子で怪人をやっつける女児アニメではあったが」
「えへへ……まだカードとか貰ったばっかりで……で、でも『訓練に気合を追加する為正義的報酬を設ける』なんて言わなくても、私は同じくらい頑張ったと思います。オマケとか特典とか、女子って確かに弱いですけどね」
「ほう、それはやはり入隊の経緯(影響を受けたアニメ)に関わってくるということかね」
「……そう(あの事件のため)ですね。守らなきゃって思って、とりあえずやれる事を探してるんです」
「そのための特訓!なんという正義的行い!」
「はい! どうでしたか? 隠し武器のタッチペン!」
「そうだな。あの状況普段の右腕では寧ろ近すぎて狙えなかっただろう、実に正しい判断だ」
「ありがとうございます!最近気づいたんですよねこういう使い方」
「なるほど……入椅子くんの様式は中々に拡張性を秘めているようだ。ジャスティライザーのようで羨ましいな……他にもなにか調べてみるといい」
「はいっ、でも今はちょっとだけお休みしましょう!」
「そうだったな、では正義の果実を堪能しよう」