SS - ルナリア

01.

「近づくな、と言ったはずですが。」

扉を開いたとたん、予想通りの冷たい声が私の耳に突き刺さる。

「私は気が変わったら連絡を、と言ったはずだが。違うかな?」
「…なるほど。クレームでもつけに来たのですか?」

変わらぬ敵意が、しかし少しだけ和らいだような気がして、私は話を続ける。

「いやいや、構わない。争うつもりもないし、目的は変わらないさ。」

両手を広げて彼女の返答を待つ。

「同じことを言って別の返事が返ってくるとでもお思いですか?」

予想していたよりも前向きな答えにやや拍子抜けしつつも、予定通りの言葉を口にする。

「いいや。だから聞かせてほしいんだ。何が欲しい?」

しばらくの間。考えておいてくれ、と声をかける直前、彼女の口から音が漏れた。

「……ひとつ。価値にふさわしいだけの報酬は頂けるのですね」
「それはもちろん、元よりそのつもりさ」
「ふたつ。大口のご予約は早めにお願いします」

随分と業務的な言葉を用いた返答に、少し警戒しつつも先を促す。
その危惧はすぐに正しかったのだと認識させられた。

「みっつ…私は肩書も所属も変えるつもりはありません」
「やれやれ…余計な時間を過ごしたかな?」

拒否にも聞き取れるその言葉に席を立とうとするも、身振りで制止される。

「なにも、提供しないとは言っていません。大組織の一員、上司はもとより、沢山の「同朋」が訪れる地の主…ただの料理人よりは、その方がそちらも欲しいのではないですか?」
「…ふむ…少し相談して来よう、構わないね?」
「ええ、もちろん。良いお客になってくださることを期待しております」

そう、その言葉通り、彼女は私たちを客とみなす、と言っているのだ。恐らく、その後も。

「…なかなかに、嫌らしいことを考えるじゃないか」
「いいえ、「皆さん」ほどじゃありませんから」

小瓶を振って言い放った喧嘩腰のような言葉の意味を悟ったのは、帰って彼女のプロファイルを読み返してからだった。


02.

コンビニエンスストア。それは、現代人から最も近い場所。
その明かりの下で見かけた彼女は,ここで出会うとは思ってもいなかった人だった。

「おや、こんなところで奇遇ですね、"アマリリス"」
「……その名で呼ぶのは止めてください、今は勤務時間外ですから」
「ああ、済まない。…しかし、そのようなことを気にするとは思っていませんでした。気を付けますね」
「そうしてください。…では」

軽く別れを告げた女性に、彼は手を伸ばす。

「…少し待ってください、興味本位ですが、一つ聞いてもいいですか?」
「……手短に、どうぞ」
「あなたは十分料理が出来るほうだと思っています。…なぜこんなところに?」

…それが、思ったよりも深いところまで伸びた手だと知らずに。

「……あら、休日にたまの外食が、そんなに不思議かしら」
「外食…というほどの場所でもないでしょう」
「分かってないですね。貴方には一通り話したはずですが」

そう呆れた表情で述べた彼女は続ける。

「情という調味料が、手間という雑音が、料理に余計な味をつけるの」

そう言ってビニール袋を私の前に翳す彼女の顔は、とても悲しそうに見えて。

「だから、こんな休みの日くらい…そこらの機械が数だけ作って、誰が食べるとも知らずに売られる…そんな何の得にもならない「贅沢品」を。味わってみたいなんてことが、そんなに不思議なことかしら?」

だから。

「……なるほど。…普段もそのくらいのものであれば用意できますが」
「その情が余計だと言っているのよ、"リヴァイアサン"」

余計な一言で彼女を怒らせてしまったその失態も、きっと仕方のなかったことだと許してくれはしないだろうか。


03.

「"アマリリス"、入ります」

静かな室内に響く声。とんとん、と物を叩いた音が鳴ると、扉を開いて一人の女性が姿を現す。

「報告は入っているかもしれませんが、店仕舞です」

その声とともに、どさり、と彼女は一つの小さなアタッシュケースを机に置く。

「予想より随分長く続いたものだ。これも君の手腕…と見ていいのかね?」
「あちらにもいろいろな方がいらっしゃいますから。…さて、契約通りですが、確認は?」

そう告げた彼女を笑うような返事。

「必要とは思わんよ。コネクションを築く技量もまた強者の証だ。私は君の強さを信頼している」

それを聞いて、彼女はふっと微笑みを返した。

「相変わらずで。問題ありません、恩は返すものですから」
「今回の取引は終了だな。引き続き、良いやり取りがしたいものだ」
「では、失礼します」

そう言って背を向けた彼女に、後ろから声が追いかける。

「“食事”の準備はしてあるが。晩餐はもう済ませたのかね?」

その声に黙って首を振り。扉に手を掛けてから、思い出したように声を出す。

「一人で腹八分目以上に貪る趣味はないもので」
「謙虚なことだ。であれば、次の機会を楽しみに待つとしよう」

それに対する答えは何もなく。
開け放たれた扉をよそに、とんとん、とまた音が響いた。


04.

"事件"以来久々に探した彼は、あっさりといつもの場所で見つかった。
呼び鈴を静かに鳴らすと、しばらくしてかちゃりと静かにドアが開く。

「こんにちは、"ディアボロス"」
「よう。…テメエ、やっぱり生きてやがったか」
「ま、ね。裏でよろしくやってます」
「つまり変わりねえってことじゃねえか、なあ?」

黙り込んで、どちらからともなくふっと微笑む。どうでもいい軽口をぶつけ合う程度の仲、というわけだ。

「んで?…悪いが、流石にあんまり面倒ごとにはついてけねえぞ」

なんだかんだ良い職場だし、なんて言いつつも変わらず接してくれるだろうと、そう思っていなければそもそもここには来ない。

「別に何も。今更わざわざ関わることもないですし、味見だけ頼みに来ました」
「…テメエはあんなことがあってもマイペースなのな」
「じゃなきゃこんな組織《とこ》にわざわざ入ってきませんし」

鞄に見せかけたクーラーボックスをそっと開け、サラダをそっと机に置く。

「レンジ、借りますね」

このやり取りも何度目か。そんなに回数は重ねていなかったはずだが、しばらく開けても体が動く程度にはここにお邪魔していたようだ。

「あぁ。…今日は?」
「それと、麻婆豆腐と、ビーフシチューと、ハンバーガー」
「相変わらずなんも考えてない組み合わせなことで」
「まあ、順番ですし」
「あー…っと、麻婆はそろそろかな」
「だと思います、確か…4回目?ですから」

チン、と音が鳴ったら、残った三つを無造作に机に並べる。

「んじゃ、頂きますっと…んっ…」
「はむっ…ん…ちょっと薄い…?」

余ったハンバーガーを齧りながら、メモ帳を机のわきに除けておく。
5分で食べ終わって、じっと眺めて30分。

「…ごちそうさん」
「はい。どうでした?」

皿ごと持ち帰るため鞄に詰めながら問いかける。

「ん、麻婆と…サラダも大丈夫だろ。普通に旨かった…ま、久々だからちょい甘いかもしんねえが」

その返答に思わず軽く笑いながら、先を促す。

「ハンバーガーは、微妙に変な味残ってる。ビーフシチューは…ちょっと生臭えな。もう少ししっかり処理しとけ」
「ふふ、気をつけますね。では、ありがとうございました」

そう言って席を立つ私に、後ろから声がする。

「…まぁ、こんくらいまでならいつでもやってやんよ」
「…それは」

その言葉は、何度も聞いた言葉なのだけど。

「まだそう言ってくださるのですね」
「テメエがやりてえことなんだろ?んならな」
「…ありがとう」

聞くたびに重みが増していくのは、本当にずるいと思うんですよね。


05. 常を喰らう飢餓

「…俺にはさ.家族がいる.ここまで育ててくれた母さんが.かわいがってくれた姉ちゃんが.俺なんかにあこがれてくれてる弟だって」

一週間.考え抜いた結論を,目の前の彼に告げた.

「大事な奴は,他にもたくさんいる」

高校に入ってから数か月で意気投合した仲間たちの顔が,脳裏をかすめる.

「だから,話は何となく分かったけど…大変だと思うけど,それでも,さ.きっと俺には,見たこともない他人の明日は重すぎるよ」

気に病むな,等と言われてもそんなことは無理に決まっている.それでもきっと,この心境のまま参加したところで何にもならない.
俺の心を察してか,それともこの決断をした奴も思ったよりは多いのか.

「…そうか.真剣に考えてくれて,ありがとう」

感謝こそすれ,それ以外の言葉をかけてくることはなかった.


「…なあ.…この試験の意味,そろそろ教えてくれてもいいんじゃないのか」

目の前にずらりと並ぶ,脈絡もない物体の数々.
日本刀,おもちゃのロボット,小説,ビデオカメラ,…女性用下着,エトセトラエトセトラ.
定期的に来いと言われて来てみては,そんなものが並んだ空間に通されて,しばらくすると今日は終わり,と.

「必要だって言われて,金も出てるからまあいいけどよ.どういうことだ」
「…私の一存では.教えてもいいか,掛け合っては見ます.…そろそろ成功してほしいものですが」

どういうことだ.信じていないわけではないが…最近の調子の悪さと,関係がないとも思えなかった.


ところで,風邪の時…「暑いのに寒い」,なんて感覚を覚えたことはないだろうか?

「…チッ,またひどくなってきやがった」

大体今,そんな感じだ.最近ずっと,「腹が減る」.いや,ついさっきも大盛りでラーメンを食ったばかりだ.満腹だ.
それなのに,この感覚が消えてくれない.だからどうにもずっと気持ち悪い.

「大丈夫,兄ちゃん?病院とか,行く?」
「あー…大丈夫だ.寝てりゃあ治る…しばらくダメなら考えるが,な」
「ん,無理しないでね.」

ありがとう,大丈夫だ,と少し無理をしながら告げて.
ちらりと見た弟の横顔に一瞬感じた感情を.
ぶんぶんと振り飛ばすように頭を振って.

「…なあ,何が欲しいんだよ.教えてくれよ」

その衝動を否定するように,自分自身に声をかけた.


06. 飢餓を喰らう日常

「…俺にはさ.家族がいる.ここまで育ててくれた母さんが.かわいがってくれた姉ちゃんが.俺なんかにあこがれてくれてる弟だって」

一週間.考え抜いた結論を,目の前の彼に告げた.

「大事な奴は,他にもたくさんいる」

高校に入ってから数か月で意気投合した仲間たちの顔が,脳裏をかすめる.

「だから,話は何となく分かったけど…大変だと思うけど,それでも,さ.きっと俺には,見たこともない他人の明日は重すぎるよ」

気に病むな,等と言われてもそんなことは無理に決まっている.それでもきっと,この心境のまま参加したところで何にもならない.
俺の心を察してか,それともこの決断をした奴も思ったよりは多いのか.

「…そうか.真剣に考えてくれて,ありがとう」

感謝こそすれ,それ以外の言葉をかけてくることはなかった.


「…なあ.…この試験の意味,そろそろ教えてくれてもいいんじゃないのか」

目の前にずらりと並ぶ,脈絡もない物体の数々.
日本刀,おもちゃのロボット,小説,ビデオカメラ,…女性用下着,エトセトラエトセトラ.
定期的に来いと言われて来てみては,そんなものが並んだ空間に通されて,しばらくすると今日は終わり,と.

「必要だって言われて,金も出てるからまあいいけどよ.どういうことだ」
「…私の一存では.教えてもいいか,掛け合っては見ます.…そろそろ成功してほしいものですが」

どういうことだ.信じていないわけではないが…最近の調子の悪さと,関係がないとも思えなかった.


ところで,風邪の時…「暑いのに寒い」,なんて感覚を覚えたことはないだろうか?

「…チッ,またひどくなってきやがった」

大体今,そんな感じだ.最近ずっと,「腹が減る」.いや,ついさっきも大盛りでラーメンを食ったばかりだ.満腹だ.
それなのに,この感覚が消えてくれない.だからどうにもずっと気持ち悪い.

「大丈夫,兄ちゃん?病院とか,行く?」
「あー…大丈夫だ.寝てりゃあ治る…しばらくダメなら考えるが,な」
「ん,無理しないでね.あ,お手紙来てたよ」

ありがとう,大丈夫だ,と少し無理をしながら告げて.
ちらりと見た弟の横顔に一瞬感じた感情を.
ぶんぶんと振り飛ばすように,手紙とやらに手をかける.
知りもしない差出人の,その手紙には.

『満たせぬ飢えを満たすための食事処に興味はありませんか?』

思わず,二度見してしまう文字列が並んでいた.


07.

午後二時.お昼時に入った最後の席の片づけをしているころ,ちりんと小さな鐘の音が鳴る.

「いらっしゃいませ…あら,こんにちは」
「はーい,こんにちは.いつもの席でも,大丈夫ですか?」
「ええ,どうぞ.この時間はいつもすいてますから,お好きな場所へ」

扉を開いたのは,やはり,というべきか,近頃通うようになった少女.
残った皿を下げながら,今日は何にしようか,と厨房を見渡す.あれを作ることにしようか.

「ふう.さて,今日は何を食べさせてくれるのですか?」
「本日はビーフシチューなどどうでしょうか」
「わかりました,よろしくおねがいします.」

初めて訪ねた時から変わりのない会話を重ねて,その少女…サラ,と名乗る娘のために火を点ける.

(…残りの材料で適当に決めたけど,よく考えたら結構かかるかな.ま,いいか)

どうせ,客層のわりに広いこの店に来るのにわざわざこんな時間を狙う物好きは二人もいないだろうし.
そういうわけで,鍋に火をかけ…少しばかり,暇になってしまったので.
私はパンを数個バスケットに入れると,ふらりと彼女の机へ足を進めた.

「とりあえず,こちらを」

そう言ってバスケットを机に置き,その中から一つを自ら手に取る.

「オウ,ありがとうございます.…あれ,お料理はよいのですか?」
「うちの料理機器は優秀ですから,同じ温度で煮込むくらい放っておいても余裕ですよ.ですから,少しお話でもしませんか?」
「ハイテクですねぇ…」

しばしの雑談.そしてふと,目が彼女の首元に移る.

「そういえば,また新しいネックレスをしておいでなのですね」
「っ,気づいてらしたのですか.…ええ,置いておくのもどうかなと」
「ふむ…どなたかからの贈り物ですか?」
「…父から,です.時々送られてくるのですが…えっと,最近はどうも,その,持て余してまして」
「……なる,ほど」

『お客』の体質については,なんとなく把握はしているけれど.
その話を聞いたとき,なぜだか.

「…よろしければ,少し貸してくださらない?…もしあまり使わないのなら,ですけど」

ふと,これを手にとってみるべき,ような気がして,そう口に出してしまった.

「うーん,別に構わないですよ?欲しいなら貰ってください,最近は余って困るくらいですし.」

だから,そう続けられた言葉は,普段貰いものをしない私にもとても魅力的で.
でも,それでもやっぱり甘えてはいけない気がして.

「……そうですか?…でも,ただというわけにはいきませんし…」
「うーん,とはいえお金とか,大体誰かが出してくれるのでそんなに困ってませんし…」
「…じゃあせめて.今日の食事くらいご馳走させてください.…何か食べたいものありませんか?なんでもいいですよ」

どうにか「恵まれる」ことを避けるために,彼女が開いたこともないメニューを強引に押し付けて.

「うーん…でしたら,えっと.…もし出してくれるなら,こちら,とか頂け,ますか?」

慣れない手つきでメニューをめくりながらしばらく考えたように見えた彼女は,ふとある場所に目をやって,ぴたりとそのまま手を止めて軽く指さす.

「ええ.えっと…っ!?」

彼女がいかにも感覚で決めました,といった感じで示したのは,その本に挟まれた手書きの紙.
いくつかの試作品のメモ書き,まだメニューにはなっていないその紙の一番下の名を指し示していた.
私が一瞬戸惑ったその間に,彼女はそれを察してしまったらしく.

「あ,やっぱりダメでしたね?いいんですいいんです.えーと…」

そう言って『代わり』を探そうとした彼女を.

「ああ,いえ.材料はありますし,今日は値段を考える必要もありませんから.試作に近くなりますが,よければぜひ受け取ってください」

少しの好奇心と,なんとなく確信めいた予感で引き留めて.

「…それに.こういう時の直感<インスピレーション>ほど,馬鹿にできないものですから」

さっと彼女の手からメニューをかすめ取ると,私は彼女のシチューを取りに戻るのでした.

ページのトップへ戻る